“#プレ花嫁”の憂鬱。優しい婚約者への罪悪感を刺激する、ある女の出現

“#プレ花嫁”の憂鬱。優しい婚約者への罪悪感を刺激する、ある女の出現

私の大好きな彼氏には、結婚願望がない。

それを知ったのは、30歳の誕生日。順調な交際を2年も過ごした後だった。

東大卒のイケメン弁護士・吾郎との「結婚」というゴールを、疑うことのなかった英里。彼が結婚願望ゼロと知った日から、不安と焦りが爆発。

とうとう吾郎との破局を迎えた英里は、傷心を乗り越え、結婚願望のある男・きんちゃんと、ついに結婚を決意しつつある。しかし一方で、実は吾郎も英里を忘れられずにいた。




Instagramで「#プレ花嫁」と検索すると、純白のドレス、色とりどりの美しい花束、そして結婚を間近に控えた女たちの幸せそうな姿がずらりとスマホの画面に並ぶ。

どのブランドのドレスが写真映えするとか、結婚式用の小物のDIYテクニックなど、結婚式の最先端情報はInstagramで入手できるのだ。

英里はここ数年、長いこと「花嫁」に多大な憧れを抱いていた。

ロマンチックなプロポーズに、愛の証として贈られるダイヤの指輪。お姫様気分でのドレス選びや、工夫を凝らした結婚式の準備も、きっと夢のように幸せに違いない。

実際、親友の萌や咲子のドレスや小物選びに付き添ったときも、楽しくて仕方がなかった。それが自分のためであったら、どれほど高揚するだろう。

女なら、幼い頃に一度はお姫様という存在に憧れる。そして、誰しも少なからず“お姫様願望”なるものを胸に秘めているはずだ。

花嫁という立場は、その隠れた“お姫様願望”を存分に発揮できる大義名分であるとも言える。

昔から夢見がちで、ディズニーのプリンセスが大好きだった英里は、花嫁への思いも人一倍強かった。

それなのに、どうしてだろう。

「英里ちゃんの理想の結婚式にしたらいいよ」

優しいきんちゃんの言葉に対して、素直に幸せを実感できない自分に、英里はひどく戸惑っている。


優しいきんちゃんとの日々に、満足しているはずの英里だが...?


彼の気遣いと優しさが、彼女にもたらす意外な影響


「英里ちゃん、欲しい指輪は決まった?」

キッチンでランチのパスタを茹でながら、きんちゃんが朗らかに言った。

きんちゃんはパスタを作るのがやたらと上手で、茹で具合も美味しいソースのレパートリーも完璧だ。

最初は「男の人に料理を任せるなんて」と、遠慮したり率先して手伝いをしていたが、彼のあまりの手際の良さに、英里は“甘える”という術を覚えてしまった。

きんちゃんはとにかく、何でもソツなくこなす人だ。料理だけでなく、掃除や洗濯も要領よく済ませるし、同棲したからと言って、英里に家事を強要することもない。

―家事をしてもらうために一緒に住んだわけじゃないから、適当にヒマな方がすればいいよ―

彼は、いつも英里の気持ちの一歩先を読んでいる。

そしてさり気なく、居心地のいい、プレッシャーのない環境を与えてくれるのだ。

一方で吾郎は、自分自身にも英里にも容赦なくストイックだった。恋人だからといって必要以上に甘えたり甘やかされることもなく、良く言えばフェアな、悪く言えばドライな関係だったのかも知れない。

それに比べてきんちゃんとの関係は、まるで温かいお風呂に浸かっているかのようだ。自然と力が抜け、気も緩んでいく。

“恋愛と結婚は別物”

一般的によく耳にするこの言葉を、英里はまさに身を持って実感している。




死ぬほど好きでも、その言動や行動にいちいち過剰反応させられてしまう男。刺激はなくとも、穏やかで平和な生活を育める男。

結婚向きなのは、どう考えても後者だ。

吾郎のようにエキセントリックな男と生涯をともにするのは、きっと大変だろう。出産や子育てなど、結婚後に起こるイベントでもいちいち苦労し消耗するに違いない。

頭では、ちゃんと分かっている。なのに......

「英里ちゃん?」

きんちゃんの声でハッと我に返ると、アンチョビとキャベツのパスタとコーンスープが目の前に並んでいた。おいしそうな匂いが、英里の食欲を優しく刺激する。

「ごめん!私、ぼうっとしてて...えっとね、指輪は......」

「パスタ、熱いうちに食べちゃってよ。指輪は急がなくたっていいよ。何度もプレゼントできるものでもないし、むしろじっくり選んでくれた方が僕も嬉しいから」

あはは、と茶化して笑うきんちゃんを前に、英里は安堵と違和感が混じり合ったような、複雑な気持ちになる。

「......ありがとう」

パスタを口に運びながら、言われるがままに甘え続ける自分をきんちゃんが本当はどう思っているのか、なるべく考えないようにした。

彼の気遣いと優しさが、時に罪悪感をもたらすことも、絶対に秘密だ。


そんな英里を待ち受ける、意外な人物とは...?!


周囲が盛り上がるほど、“プレ花嫁”の肩書きが重くなる


人の噂は、あっという間に広がる。

ある日、会社の仲良しの先輩に「彼氏と同棲を始めた」と、ついポロッと口にしてから、英里はすっかり社内で“プレ花嫁”として有名になってしまった。

「聞いたよ。彼、すごく素敵な人なんでしょ?」
「せめて子供ができるまでは、仕事は続けたほうがいいわよ」
「彼のお友達で独身の素敵な人がいたら、私にも紹介して~!」

ランチの時間、化粧室での立ち話、通勤中など、英里の周囲は始終お祝いモードと化した。

Outlookで英里の所属するチーム全員宛てに“英里さんの婚約祝い”という飲み会のスケジュールが送られてきたときは、まだ正式に婚約はしていないと慌てて謝ったくらいだ。




あれほど憧れていた“プレ花嫁”なのに、周囲が盛り上がれば盛り上がるほど、英里はその肩書きに重さを感じてしまうのを無視できなくなってきた。

―はぁ。

仕事終わりのエレベーターの中で、無意識に大きな溜め息をついてしまった自分が嫌になる。

―もっと、幸せでいなきゃいけないのに...。

だが、きんちゃんを好きな気持ちに嘘はないはずなのだ。

さっさと帰宅して、彼の温かな身体に抱きつき、お風呂のような癒しに包まれてしまいたかった。そうすれば、余計なことは考えずに済む。

「......英里さん、ですよね?」

会社を出たところで不意に名前を呼ばれ、英里はひどく驚いた。

―吾郎くんの、新しい彼女......?

そこには、先日『ビストロ・マルクス』で吾郎とデートしていた美女が立っていたのだ。シンプルで上品な薄いベージュのワンピースと、華奢な足首を飾るヴァレンティノのハイヒールが似合っている。

―どうして、彼女がここに...?

あまりの動揺に、英里は何も答えることができない。

さらに、彼女の長い睫毛に縁取られた大きな目にじっと見つめられると、全身に怯えにも似た冷たい緊張が走った。

「急にごめんなさい。少しだけ話せませんか?私、英里さんが結婚するって聞いて......」

「な...何であなたがそれを知ってるんですか...?心配しないでください。私、もう吾郎くんとは連絡も取ってないし、邪魔するつもりもないです」

美女の突然の発言に困惑した英里は、急いでその場を立ち去ろうとした。

「待ってください!違うんです。私、吾郎の妹の瑠璃子です!英里さん、お願いします。お兄ちゃんを見捨てないであげて!!」

―え?妹......?

背後に吾郎の妹と名乗る女の緊迫した声を耳にしたとき、英里の足はコンクリートに埋め込まれたかのように、ビクとも動かなくなってしまった。


▶NEXT:5月27日 土曜更新予定
瑠璃子の計らいで、吾郎と英里が再会してしまう...?!