出世の花道:社会に出たら安易に笑うな。「目が笑ってない」と言われる男の言い分

出世の花道:社会に出たら安易に笑うな。「目が笑ってない」と言われる男の言い分

出世したい―。

サラリーマンである以上、組織の上層部を狙うのは当然のこと。

だが、仕事で結果をだすことと、出世することは、イコールではない。

そんな理不尽がまかり通るのが、この世の中だ。

出世競争に翻弄される、大手出版社同期の2人。

果たして、サラリーマンとして恵まれているのは、どちらだろうか。


人事異動で下された辞令に納得できない思いを抱える秋吉直樹(34歳)。前任であり同期の武田壮介から引き継ぎ、作家・西内ほのかを担当することになった。




「僕はその企画では、絶対に通しません」

毅然とした態度で直樹が言うと、西内ほのかはあからさまに嫌な顔を向けてきた。

だが、どんなに睨まれようとも直樹は淡々と告げる。

「僕が納得できるまで、何度でも書き直してもらいますから」

このやり取りを繰り返すのは、今日で2回目だ。

前回、武田と3人で会った時も同じようなやりとりを1時間繰り返した。今日は噛みついてくる武田が居ない分、話が進めやすいかと思ったが、だんまりを決め込む西内ほのかは、思っていた以上に手強い。


良いものを作れば、売れる。


サラリーマンであれば、誰もがそう信じているはずだ。

自分が手がけた仕事、自分が立ちあげた企画。仕事に真剣に向き合っていれば、それらに対する愛情と誇りに思う気持ちが膨らむのは当然のことだ。

だが、その想いが上手く回る場合とそうでない場合がある。

武田の場合は、間違いなく後者である。


直樹が思う、社会人としての自分の武器とは。


武田は情熱があるあまり、自分の作りたいものがはっきりしすぎていた。それを作家に押し付け、彼女の良さを埋没させた。

直樹は、武田のように人づきあいの良さは持ち合わせていない。

だが、売れるもの、光るものを持つ人、そういうものを嗅ぎわける嗅覚に長けているとの自負がある。

時代を半歩先取りした切り口を考えるのが得意で、書き手の個性の引き出し方にも自信がある。実際に結果もだしてきた。


それなのに、だ……。


会社や組織には、出世コースと呼ばれるものがある。大企業、金融関係、公務員、官僚、医者……と、世界は違えど確実に存在する。

社会人として、よーいドンで一斉に走り出して、長い長い出世競争が始まる。

大企業であればあるほど、入社の段階から幹部候補に目星をつけているものだ。そうでなくても20代後半にはすでに、ある程度のふるいにかけられている。

出世コースからは、毎年少しずつ振り落とされる。

一度このコースから外れると、もう一度戻ってくるのは至難のわざ。

直樹は、この出世コースにまだ自分が乗っていることは確信している。だが、武田も同じく出世コースに乗っており、直樹よりも高いステータスにいることは、認めたくない事実である。




武田より、会社の売上に貢献している自負はある。武田は部長のご機嫌取りには貢献しているが、それだけだ。

ではたとえば、武田が売ることができなかった、目の前に座る作家・西内ほのか。

彼女をベストセラー作家に育てれば、武田を追い越すことができるのだろうか。

上司に媚びることなく、結果を出し続けて出世する。それが、直樹の理想である。

文芸編集部に配属されてすぐは、ただの絶望しかなかった。だが、今思うことは逆だ。

―これは、チャンスかもしれない。

だから直樹はどうしても、西内ほのかにヒット作を書かせる必要があるのだ。


直樹が、どうしても出世したいと思う、その理由。


「僕にはわかります。西内先生はエンタメ作品でこそ、力を発揮できる方です」

仏頂面の彼女に、そう語りかけた。

甘い物が好きな彼女に合わせて、神田の『近江屋洋菓子店』を打ち合わせ場所に選んだ。ここのイチゴサンドショートを、彼女は気に入るだろうと踏んだからだ。




案の定、一気にぺろりと食べ終えた彼女は、俯いて膝に乗せた自分の手を見つめたり、店内に出入りする客をぼおっと眺めたりしている。

彼女はこの打ち合わせの後、武田に愚痴を散々言い散らかすのだろう。たまに個人的に飲みに行くくらい、二人は仲が良いらしい。

直樹には、そんなことはどうでもいい。とにかく、結果を出すためであればどんな憎まれ役でも買ってでる。

それがサラリーマンとして組織の中でのし上がっていくための、ただひとつの道だからだ。

「西内先生、軌道修正するなら今です。まだまだ手つかずの可能性が、先生の中には沢山ある。それを埋もれさせるのはもったいない」

西内ほのかには、今までとは間逆の世界観を書かせる。

それが彼女のためであり、武田を追い抜くための近道だと信じている。

「まず最初は僕が、企画と大まかなあらすじを考えます。そこから膨らませていってください」

直樹が言いきると、彼女は表情も変えずにテーブルの1点を見つめていた。

「ちょっと、考えさせてください」

久しぶりに聞いた西内ほのかの声は、小さいが芯のある声だった。

今までの経験上、「考えさせてくれ」と言われたらそれはもう9割はOKということだ。

その後難色を示されたとしても、押せばなんとかなる。女性の場合は特にその傾向が強い。

「わかりました。よろしくお願いします」

直樹がにこりとして言うと、彼女は続けてこう言った。

「秋吉さんって、悪い顔して笑いますね」

何かを言い返したい気持ちがあったのだろうか。それともただの正直な人なのだろうか。

西内ほのかは、真顔でそう言った。

直樹は、人からよく「目が笑ってない」と言われる。

自分では愛想笑いでもきちんと笑っているつもりなのに、なぜだかそう言われるのだ。

今日みたいに正面きって言われることもあれば、陰でそう言われていることが、意図せず耳に入ってくることもある。

普通の人であれば嫌がるようなその言葉も、直樹にとっては褒め言葉である。

本気で笑うというのは、心を許すということ。仕事相手に心を開くつもりなんて、直樹には毛頭ないのだから、「目が笑ってない」とは、きちんと一線を引けているということだ。

「よく言われます」

そう言って席を立った。仕事の話が終われば長居は無用だ。

まだ座ったままの彼女を見下ろして「行きましょう」と声をかけ、入口に向かって歩きだす。

出世なんてもともと興味はなかった。だが、仕事で大した成果をだしていない武田のような人間が、ぽんぽんと出世していくのが許せない。

直樹には、やりたい仕事、作りたい本が山のようにある。

自由に自分の裁量で仕事を進めるには、出世するしかない。だから直樹は、自分のやり方で、ただひたすらに上を目指すことに決めたのだ。

その思いに、ブレや迷いなんて1ミリもない。


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いつも笑って受け流す武田壮介。彼の心の内に迫る。