寿退社したものの:あの蜜月はどこへやら…。食い違う、夫の言い分と妻の言い分

寿退社したものの:あの蜜月はどこへやら…。食い違う、夫の言い分と妻の言い分

結婚したら、寿退社♡

一昔前まで、それは女性の人生における最初の小さなゴールだった。

家庭に入り、料理の腕を磨き、夫の帰りを待つ。

だが、2017年の東京で「専業主婦」は、本当に憧れるべき存在だろうか?

結婚したら、母親と同じように専業主婦になることに疑いを持っていなかった志穂。だが、家事・育児をまったく手伝わない夫・康介に不満を募らせていた。

自立しようと仕事復帰を試み、ついに復職するのだが…。




夫の信じられない言動


「ちょっと、何これ…。」

慣れない仕事で疲弊した体にムチを打つようにして、やっとひなを寝かしつけた志穂は怒りに肩を震わせていた。

原因は、夫がシャワーに入っている時になんとなく見えてしまった、彼のLINEトーク。

ー康介も大変だね。ちゃんと養ってあげてるのに…。ヒステリックな奥さんのケア、頑張れ!また気晴らしに飲みにいこ〜!

ヒステリックな奥さん、という部分までポップアップで表示されていたため、思わず無断でメッセージを読んでしまったのだ。

杉ちゃんという差出人はどうやら女性で、メッセージを読んでいる限りただの同僚のようだが、どちらにせよ心証は良くない。

恐らく大人数の飲み会で、康介が志穂に対する愚痴でもこぼしたのだろう。

それにしても、「ヒステリックな妻」とは酷すぎるではないか。

いくら喧嘩をしていたからといって、自分の妻の悪口を他の女性に打ち明けているという事実が志穂には信じられない。

自分はこんな風に、夫やその同僚に揶揄の対象にされるほど、みっともない生き方をしていたのだろうか。

専業主婦で養われている女は感情をあらわにしてはいけない、とでも言いたげなコメント。

それを平気で寄こす「杉ちゃん」という女に対しても、ハッキリとした憎しみの感情が生まれてくるのを、志穂は感じていた。


二人はどこですれ違ってしまったのか?


夫の言い分


「志穂は子供を産んで、変わってしまった。」

この2年間というもの、康介の頭の中にはその考えがこびりついて離れない。

出産前と何がどう違うのかと問われれば、上手く説明できない。ただ、志穂が以前より自分に対してずうっとキツくなってしまったのは事実だろう。

発言の節々にも棘を感じるし、自分が話していても、心底どうでも良さそうな反応をする。

もちろん新婚当初の志穂はそうではなかった。

「蜜月」と呼ぶに相応しい、甘い時間を過ごした記憶もある。

プロポーズをしたら、泣いてくれた志穂。

会社を辞め、毎晩手の込んだ料理を用意してくれていた。

どんなに遅くなっても、起きて自分を待ってくれていた。




志穂に見つめられると、「俺がこいつを守ってやらないと」という庇護欲のようなものが刺激されたあの頃のことを思い出し、康介の胸は柄にもなく痛む。

何かがズレ始めたのは、程なくして志穂が妊娠した頃だっただろうか。

夜も自由に友人と出かけられなくなり、妊娠によって少しずつ行動を制限され始めた志穂は、康介に対してひどく批判的になっていった。

それは出産し、ひなが順調に大きくなっても収まることはなく、むしろ悪化する一方。

仕事でくたびれている上に、妻の感情の起伏までは受け止めきれない、というのが康介の本音だった。

だから、自分が会社の同僚の女性にそんな愚痴をこぼしていたことだって、特段悪いとは思わない。

だが、そのことを知った志穂の怒りは相当のものだった。

「あなただけ昔のままの生活なの、分かる?

子供を妊娠して、産んで、不自由になったのは私だけ。あなたは飲み会のペースを変えたり、仕事や環境を変えたりしてない。全く私達の生活に歩みよってくれてないの。

その不満をぶつけただけで、解決しようともせずに人をヒステリック呼ばわりする方こそ、どうかと思うけど。」

ヒステリック呼ばわりされたのが相当応えたのか、能面の様に表情一つ変えずこちらに詰め寄る志穂に、新婚当初の面影はない。

思わず言い返しそうになったが、そうすれば泥沼の言い争いになるのは目に見えている。

かといってどうしたらあの頃の志穂が戻ってきてくれるのかも分からず、康介は志穂に背中を向けて寝てしまうことしか出来なかった。


このままでは良くない、と分かってはいるが…。


一晩で回復するほど軽い溝ではない


「こんなこと、聖羅にしか言えなくて…。」

仕事を世話してくれたお礼にと、志穂は聖羅をパレスホテル東京の1Fロビーラウンジ『ザ パレス ラウンジ』のアフタヌーンティーに招待することにした。




あの『空也』とのコラボレーションだという、和風のアフタヌーンティーの期間中ということもあり、店内は予約しないと手に入らない「空也もなか」目当ての女性客も多い。

聖羅はゆったりとソファに腰掛け、志穂の話を聞いてくれている。

話題はもちろん、康介のLINEに来た同僚女性からのメッセージのこと。

それに、ママ友からの批判や慣れない育児と仕事の両立で参っていることなどだ。

「正直に言ってもいい?」

一通り話を聞き終わった聖羅は、いつになく真面目な表情になった。

「そういう、産後のいろんな問題を抱えてるのってさ、何も志穂たちだけじゃないらしいよ。産後クライシスとか、フツーに独身の私ですら記事で読んだりするもん。」

一言一言、言葉を選ぶように聖羅は続ける。

「私はまだ未婚な上に、子供もいないから偉そうなことは言えないけどさ。志穂が育児と仕事で大変なのは、多分ね、徐々に慣れていくんだと思う。

でも、康介さんとの関係は、二人がちゃんと向き合っていかないと、ダメだよね。きっと。

話聞いてるだけだと、お互いが、なんでこうしてくれないの、っていう不満を言い合ってるっていうか…。まだ二人とも、エゴを捨てきれてない感じがする。」

耳が痛い指摘だが、聖羅の言葉は、母のアドバイスよりもフラットに志穂の心の中に染み入っていく。

確かに自分は「どうして私だけ」「どうして分かってくれないの」という被害者意識が強すぎたのかもしれない。

寿退社をすると決めたのは他でもない自分自身の選択であるにも関わらず、起こり得るリスクを十分に精査していなかった自分の怠慢を、康介のせいにしていた。

そして、そのせいでたった一人の可愛い娘の前でひどい喧嘩をして心配させる有様だ。

自分は、なんて頼りない母親なんだろうか。思わず涙が溢れてしまう。

しかし、この涙は悔しさや憎しみではなく、己の至らなさに気がついた故の涙だ。

「やだっ、ごめん志穂!泣かせるつもりじゃ無かったのに!」

ううん、違うの、悲しいんじゃないの、と言いながらも、何故だか涙が止まらない。

涙を出し切ってしまった志穂は、なんだか、もう少し頑張れるような気がした。


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