「普通のサラリーマン」では許してくれない。はいすぺさんの結婚を阻む、親という存在

「普通のサラリーマン」では許してくれない。はいすぺさんの結婚を阻む、親という存在

容姿、学歴、収入。男のスペックは高ければ高いほど良い。

が、同じだけのスペックを女が持ち合わせたとき、果たしてそれは本当に幸せなのだろうか。

東大卒・外銀勤めの楓はいわゆる「ハイスペック女子」。

4年ぶりに再会した憧れの人との関係は、上手く行くかに見えたのだが、なんと相手は楓のことを一人の女としては見ていなかった。

意気消沈する楓に、親友であり研修医をしている美里から何やら切羽詰まった様子のメッセージが届く。どうやら彼女も壁にぶつかっているようだった・・・




西麻布の『鮨 海心』のカウンターには、気まずい空気が流れていた。

「別に何も、今すぐ別れなさいって言ってるわけじゃあ無いのよ?私はただ、結婚相手としては賛成出来ないって言っているだけ。」

母親の穏やかな声音に、美里は何も言い返せないでいた。



広尾の病院で研修医をしている美里は、先週から呼吸器内科に配属されていた。

病院研修は配属される科によって拘束時間や忙しさも異なるが、呼吸器内科は比較的落ち着いた科だった。

特に問題が無ければ、19時頃には病院を出られる。

研修医生活を始めた4月からずっと、忙しい科ばかり回っていた美里にとっては、新鮮な感覚だった。

その晩は、母親が広尾界隈で用事があったとかで、せっかく病院の近くに居るし食事でも、ということになったのだった。

美里は母親の言葉には答えず、パリパリの海苔に挟まれた炙り平貝の香りを深く吸い込んだ。

「彼、優しくて良い子なのはママも分かるわよ。でも、うちの病院のことも少しは考えてくれる?」

「・・・そんなこと言ったら、お医者さんとしか結婚できないじゃない。」

「それで良いじゃないの。いくらあなたが優秀だって、女一人で病院経営は大変よ。」

―この話をするのは何度目だろうか。

いい加減聞き飽きた母親の言葉に疲れ、お鮨に意識を戻そうとしたその時。

母親の口から発せられた一言に、美里の箸は止まった。

「大体サラリーマンとあなたじゃ、釣り合わないでしょう。」


人に指摘されると気になりだす彼のスペック


美里は今の彼氏ともうすぐ交際3年目に入る。

彼とは大学の帰国子女向けの説明会で、卒業生として同じパネルを担当することになり知り合った。

中高の6年間をスイスで過ごした美里と、同じく中高の6年間をロンドンで過ごした彼とは価値観で共通する部分も多く、年は彼の方が4つ上だったが、すぐに意気投合した。

大学時代から結婚に対する憧れが強い美里のこともよく分かっていて、彼も当然いつかは結婚する気でいるようだった。

彼は現在、グローバルで1,2位を争う大手外資系メーカーで社長直下の経営企画室に配属されている。

このままいけば最年少役員誕生か、とも噂される大抜擢だった。

美里の母親は彼のことを「サラリーマン」と切って捨てたが、彼は並みのサラリーマンとは比べるのが憚られるほどの「エリート」だ。




その晩、美里は母親の言葉を思い返していた。

―「サラリーマンと私じゃ釣り合わない」かぁ・・・。

何故だろうか、彼のことは本当に好きなのに、母親にそう言われると少し気持ちが冷めるような気がした。

美里の両親は共に医師で、2人で自由が丘の耳鼻咽喉科を経営している。

両親共に東大医学部卒の家庭で育ち、自身も東大医学部を卒業した美里は、正真正銘のサラブレッドだ。

そして彼女は今まで一度も、両親の期待を裏切ったことが無かった。

両親に求められるように生きることは彼女にとって容易かったし、優しく聡明な両親を心から尊敬していたからこそ、彼らに褒められることが小さい頃から何よりも嬉しかった。

美里がその一言に引っかかったのは、母親の表情に、一抹の「がっかり感」が見えたからかもしれない。

医者の世界はある意味狭い。そのコミュニティの中では、医者が一番「立派な仕事」なのだ。

どんなエリートだろうと、サラリーマンは単なるサラリーマンに過ぎないにらしい。

―素敵な彼氏だねって、ママにも喜んでもらえる人だったらよかったのに。

こんなことで、大好きな母親と気まずくなりたくなかった。

こんなことで、彼女をがっかりさせたくなかった。

彼のことは心から大切に思っていたが、美里にとっては家族も本当に大切なものだ。

―どうして人を好きになることで、他の大切な人をがっかりさせることになっちゃうんだろう・・・

急に感情がこみあげてきて、視界が歪んだ。

―今すぐ誰かと話したい。

こんな夜中でも連絡できるのは、楓くらいだ。涙で視界がぶれながらも、美里は短くメッセージを送った。

「楓、遅い時間にごめん。今話せない?」


はいすぺさんが、そのハイスペックさのあまり今まで気づかなかったこと。


メッセージを送って3秒後に、楓から着信がきた。

「もしもし。」

「どうしたの?何かあった?」

若干声が掠れている上に鼻声なのが伝わったのだろうか。電話越しでも、楓が美里の異変にあたふたと慌てているのが分かった。

「今日、ママとご飯に行ったんだけどね・・・」

母親は病院を継げない人との結婚に反対しているだけだと思っていたが、実際は、サラリーマンである彼の「スペック」自体が気に入らないらしいこと。

彼のことは本当に好きだが、大好きな両親にも一緒に喜んでもらえる相手でないのが悲しいこと。

彼のことが好きだったはずなのに、母親から否定されると少し心が揺らいでしまったことー。

苛立ちと不安、悲しさ、情けなさが全部入り混じって、話し出すと涙が止まらなかった。




「美里、落ち着いて。」

一通り美里が話し終えたところで、ようやく楓が口を開いた。

「とりあえず今すぐ結婚って訳じゃあないんでしょう。だったら今すぐご両親が納得してくれなくても、今のまま続ければ良いじゃない。ゆっくり時間をかけて、彼の良さを本当に分かってもらえば良いよ。」

楓の言葉は力強くて、気持ちがすっと落ち着いてくるのが分かった。

「大体、あなたのご両親が納得するようなスペックの男なんて、一生出会えないわよ!どうせその調子じゃ、相手が医者だろうが、美里みたいに東大卒でバイリンガルじゃなきゃ駄目とか言い出すに決まってる。」

強くて温かい、楓の声。美里が無言で聞いていると、楓はさらにこう続けた。

「一生応えられない期待なんて、背負うだけ無駄。今までたまたま美里がハイスペックすぎて、ご両親の期待全部に応えてこられたのがむしろ奇跡なの。

ご両親には、『私はスペックなんか気にしないし、私の幸せがママ達の幸せよね』って開き直るしかないわよ。実際、そうなんだと思うし。」

―全部の期待に応えられなくたって、良いんだ。

言われてみれば普通のことにも思えたが、今まで当たり前のように両親の期待に応え続けてきた美里にとっては、とても新鮮に感じられた。

「ちょっとは落ち着いた?美里は真面目に生き過ぎよ。ご両親の期待に応えたいって言うのは立派だけど、もう十分応えてるって。良い彼氏なんだし、美里には迷わず幸せになって欲しいな。」

「楓・・・ありがとう」

「大丈夫なら私明日早いからもう寝るよ?おやすみ!明日も笑顔で新米研修医頑張ってね!」

美里の声色が落ち着いたのを感じたのか、楓は電話の初めとは打って変わって明るい声で、一方的に電話を切った。

―私の幸せが、私の大切な人たちの幸せでもある。

人のために生きるのではない、私の幸せを喜んでくれる人たちのために、私が幸せになればいいんだ。

美里は、これまでの人生で感じたことのなかった感情を、この夜初めて自分の中に捉えたのだった。


▶NEXT:11月22日 水曜更新予定
彼との関係を続けることに自信を取り戻した美里。しかし試練は続くのだった・・・